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フィリピンと日本の歴史(1)

2017年 5月28日

山形 則子

フィリピン

こんにちは。STEPの山形です。
 
私たちはフィリピンを舞台に
仕事をさせていただいていますが
フィリピンと日本の交流は
いつ頃から始まったのでしょうか?
 
昨年(2016年)1月に天皇・皇后両陛下が
実に54年ぶりにフィリピンを訪問されたことは
記憶に新しいところですが、
今日はフィリピンと日本の交流について
紐解いてみたいと思います。
 
古くは豊臣秀吉の時代から
フィリピンとの交流が始まり
徳川家康の時代には盛んに交流が行われた、
と言われています。
 
1614年にはその信仰を非とされた
キリシタン大名の高山右近がマニラへ流され、
当時フィリピンを治めていたスペイン人に大変歓迎されました。
 
日本に初めてキリスト教を伝えたのは
スペイン人のフランシスコ・ザビエルですから
イエズス会を通じて高山右近の
日本での信仰の篤さが伝わっていたのです。
 
マニラへ到着したその翌年に没したにもかかわらず
マニラには高山右近像があるんですよ。
昨年マニラへ行った際にこの像を見学しましたが
「異国の地で、日本の歴史上の人物に出会う」
って、なんだか不思議な気持ちとともに
日本人として身の引き締まる思いがしました。
 
その後日本は、鎖国・開国を経て
スペイン領であったフィリピンとの交流を深めますが
1900年代初頭には、ドゥテルテ現大統領の出身地である
ダバオに日本人街があったほどです。
 
当時、農園経営のために日本人が
ダバオに大量に移民をしていたからです。
 
今でこそフィリピンで一番治安の良い都市
と言われるダバオですが
マニラから遠く離れた彼の地は当時
どんな土地だったのでしょう?
 
そこへ農園経営のために、
日本人が移民していたなんて。
しかも、ブラジルやアメリカではなく
フィリピンへ!
 
現在の情勢からは想像がつきませんが
思いを馳せてみると
フィリピンと日本の交流を
築いてくださった祖先がいるのだな、
と感じ入ります。
 
その後、天皇・皇后両陛下もフィリピン訪問時に
言及された第二次世界大戦においては
両国ともに多くの命を失いました。
 
私はフィリピン人の友人と
両国の歴史について話す時
「正直言うと、複雑な気持ちがあるよ」
と言われました。
その時の友人の、ちょっと複雑な表情が
今も脳裏に焼き付いています。
 
実は、第二次大戦後のフィリピンと日本の間には
あまり知られていない「恩赦の歴史」もあるのです。
 
このことについては来週、
書いていきたいと思います。
 
今回も最後まで読んでくださり、ありがとうございます。