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フィリピンと日本の歴史(2)

2017年 6月4日

山形 則子

フィリピン

こんにちは。STEPの山形です。
 
先週に引き続き、フィリピンと日本の歴史
特に今回は第二次世界大戦後の知られざる
恩赦について書いてみたいと思います。
 
ところで、皆さんは「フィリピンの大統領」
というとどんな名前を挙げられるでしょうか?
 
ドゥテルテ大統領、アキノ大統領、
マルコス大統領が名前の知られた
大統領ではないかと思います。
 
今日ご紹介したいのは
エルピディオ・キリノ大統領です。
1948年から1953年まで
第6代フィリピン大統領として務められました。
 
第二次世界大戦中の
1945年1月、首都マニラを巡って
アメリカと日本が砲撃戦を
マニラ市街地で繰り広げた結果
キリノ大統領は
妻子を失いました。
 
この時のフィリピン市民、アメリカ軍、日本軍の犠牲者は
11万人とも言われており、最も多かったのは
マニラ市民10万人だったのです。
 
キリノ大統領は長らく、
日本への怒り、憎しみの中にいた
とも語っています。
 
にもかかわらず、1953年には
フィリピンのモンテンルパ刑務所に
収容されていた日本人戦犯108名(53名の死刑囚含)
全員を釈放する決定をくだしました。
 
死刑囚は本国へ送還し収容、
有期囚は釈放という驚くべき決定です。
 
個人的な怨みを持ち続けることは
フィリピンと日本の将来のためにならない。
フィリピンと日本は親しく助け合って
共存共栄の実を挙げなければならない。
 
と私怨を断ち切る決断でした。
 
またエルピディオ・キリノ大統領は
1890年イロコス・スル州ビガン生まれ。
ビガンは、世界遺産として美しい街並みが
残されています。
 
このビガンにもフィリピンと日本をつなぐ
エピソードが残されています。
次回はビガンについて書こうと思います。
 
今回も最後まで読んでくださり
ありがとうございました。