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フィリピン成功者10人のサクセスストーリー①

2018年 7月24日

町田 健登

金融関連

こんばんは。
S DIVISION HOLDINGS INC.の町田健登です。


本日はタイトルの通り、
フィリピンで成功を果たした
10人のビジネスマンのサクセスストーリーに
注目してみたいと思います。

やはり、ビジネスで成功をおさめるためには
その国の特色を理解する必要があります。

その中で、先の成功者の方のストーリーを
学ぶことはとても重要なことですね。


また、フィリピンは様々な国の植民地で
あった過去から、その社会情勢下において、
生き残りをかけた様々な人種の方の
ビジネスストーリーがあります。


私は今回、その成功者たちを調べて
いくにあたり、フィリピンで有名な大企業の
ルーツの多くに『中華系フィリピン人』の
方々が関わっていることが分かりました。

本日は皆様にフィリピンなら誰でも知っている
有名企業の創設者をご紹介させて頂きます。

1. Henry Sy『ShoeMart』

最初にご紹介するのは、フィリピンの
どこにいっても必ず見かける
『SM』モールの創業者Henry Syです。


1923年12月25日ヘンリーは中国の
シムアン近郊の町で貧しい家庭に
生まれました。

1936年父が出稼ぎでマニラで営んでいた
雑貨店を手伝うために、フィリピンに
移住してきます。

彼は幼い頃から父親の雑貨店の手伝いを
一日中していました。
また、その頃の寝床は店のカウンターだった
そうです。


貧しくも、家族が生活できる売り上げをあげていた
雑貨店ですが、ちょうどその頃、第二次世界大戦が
始まります。
ヘンリーの父親が経営する雑貨店は
戦時中に焼け落ちてしまいます。


そんな戦時中の激しい時代を過ごした
若きヘンリーは、戦後に、フィリピンで
父親と同じように、雑貨店を開きます。


彼は幼い頃から父の店を手伝うことで、
培った経営ノウハウや彼の生まれ持った
センスを存分に発揮し、彼の経営する
雑貨店はすぐさま軌道に乗ります。


また、ヘンリーは更なる事業拡大のために
1958年小さな靴屋を開きます。

しかし、その頃の若きヘンリーはフィリピンで
靴の卸売などのビジネスパートナーを探すも、
かけだしのヘンリーには誰も協力してくれません
でした。

しかし、ヘンリーは諦めません。

彼は自分のビジネスに絶対の自信がありました。

それは、幼い頃からのビジネス経験。
また、彼自身が非常に理論的なビジネスマン
だったため、ビジネスをするにあたり、
マーケットの需要、顧客情報、従業員の教育、
卸売業者等まで、全て自信がリサーチした情報を
基に何度も卸売業者等に交渉を持ち掛けます。

やがて、その緻密に計算された彼のビジネスプランに
次々に賛同者が現れました。


しかし、ヘンリーは更なる自己研鑽のために、
自身の会社経営の傍ら、マニラのトップ大学を
卒業します。

「一晩で成し遂げる成功や簡単に稼げる
お金など存在しない。失敗しても気力を削がれることなく、
再びトライするのだ。」

上は彼の名言ですが、彼は自分の信念を曲げることなく、
自分を盲信した結果、今では、フィリピンを代表する
経営者であり、資産家となりました。

現在では、
アジア全土に44カ所の大型ショッピングモールを
出店し、その規模は今でも拡大しています。


ヘンリーは叩き上げの成功者として、
フィリピンでもそのサクセスストーリーに
多くの共感を得ている人物です。

是非、フィリピンを訪れた時には彼の成功の
象徴でもある『SMモール』でショッピングを
楽しんで下さい。


2. Tony Tan Caktiong『Jollibee』

次に紹介するのは、フィリピンの国民的
ファーストフード店をはじめ、
数々の飲食店オーナーを務める、Tony Tan Caktiong氏。


Tony Tan Caktiongは1960年10月7日に
中国、福建省の中流階級の家庭に生まれました。

第二次世界大戦後、トニーの父親がフィリピンで
料理人の仕事を見つけたため、一家全員で
フィリピンに移住をします。

トニーの父親は家族のために一生懸命働きます。
父親の頑張りのおかげで、トニーは大学に進学を
果たします。

フィリピン最古の4年制大学、Sto.Tomas大学を
トニーは卒業しました。


1975年トニーは起業を決意します。
最初に彼が選んだビジネスはアイスクリーム店です。

彼は当時有名だったマグノリアのアイスクリーム・ハウス
からフランチャイズ権を買収し、ビジネスをスタートします。

その内容はショッピング客向けに、シェークやパフェを
提供するという至って普通のアイスクリーム店でした。

しかし、常連客から「もっとお腹の膨れるものはないか?」

このようなリクエストがありました。
そこで、トニーは簡単に作れるものをサイドメニューとして
提供し始めます。

サンドイッチ、フライドポテト、フライドチキンといった
サイドメニューの販売を始めたのです。

当時、「ファーストフード」という言葉の無かった時代ですから、
このトニーの始めたスタイルは、小売店業では斬新なスタイル
でした。

お手頃価格で、気軽に利用できる。

そんな噂が瞬く間に広がり、トニーのアイスクリーム店は
連日大勢の客が押し寄せるようになりました。


彼は1978年までに、メトロ・マニラ周辺でさらに6店舗
の新店をオープンさせます。

しかし、お客の目当てはアイスクリームではなく、
「ファーストフード」でした。


同じ頃、アメリカでは「ファーストフード」の代名詞
『マクドナルド』が急速な成長を見せていました。

これにインスピレーションを得たトニーは、
自身のアイスクリーム店をファーストフード店へと
方向転換したのです。


その後の、彼の成功の象徴である
ファーストフード店『ジョリビー』は
今やフィリピン人の心のファーストフード店
まで成長を果たしました。

そんなジョリビーのマスコットキャラクターで
ある、このロゴですが、これにはトニー氏の
ある思いが込められています。

彼は自分が忙しく働くことに幸福を見出して
いました。

そこで、家族との会議の末、
「私は忙しく働く働き蜂になって、
ハチミツ(お金)を一生懸命作るよ!」

そう発言し、この蜂のロゴが決定したそうです。


こうして、かつては変哲のない
アイスクリーム・キオスクであった店舗は、
ジョリービー・フード社となるまでに成長しました。


ジョリービー・フード社は、
1981年にファーストフードチェーン店・マクドナルドが
フィリピン進出を果たした際も、びくともしませんでした。

ジョリービーは何ら痛手を負うこともなく、
1989年に10億ペソの売上高を突破したフィリピン初の
フードチェーン店となりました。


本日はフィリピンでも有名な起業家の
お二人のサクセスストーリーについて、
お話させて頂きました。


どちらも、一世代で巨額の富を手に入れた
成功者ですが、共通しているのは、
「自身が努力した」という点だと
私は思います。

もちろんビジネスには運が命運を分ける
場合もありますが、彼らはビジネスを楽しみ、
考え、自分を盲信したからこそ、ここまでの
大企業のオーナーになることができたのだと
思います。


本日も最後までお読み下さり、
ありがとうございます。

次回の記事でも、フィリピンで成功を果たした
方々のサクセスストーリーをご紹介させて
頂きたいと思います。